政治家として、個人としての性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:29 UTC 版)
「ルイ11世 (フランス王)」の記事における「政治家として、個人としての性格」の解説
ルイ11世はシャルル7世の中央集権化政策を引き継ぎ、百年戦争後の荒廃したフランスを統一させるに最も成功した王である。その領土併合にあたって、戦争よりも主に外交・政治的な陰謀を用いて国内平和を保ったことは注目に値する。ユーグ・カペー以来のフランス君主の《分割して統治せよ》という伝統政策に結びつけられた王とも言える。ルイ11世は印刷術の始まりを保護し、その寛大さから《きわめてキリスト教的な国王》という称号をローマ教会から勝ち得た。また、養蚕を南フランスで普及させ鉱山を開発するなど、賢明な産業政策を行っている。 ブルゴーニュのシャルルに対するルイ11世は、封建制領主の典型と戦う近代君主と形容されることがある。たしかにルイはシャルルが体現する騎士道精神には、嘲弄と軽蔑しか示さなかった。しかし、厄日の慣習を真面目に守り、「神と聖母マリアの恩寵を他のいかなる君公よりも高い値段で買った」と同時代人に評されるほど聖遺物を崇拝する人物でもあった。裏切りなどものともしなかったのに、聖ロウの十字架にかけて誓ってほしいと願われると「他のものへの誓いならいざ知らず、この十字架への誓いは許されぬ」と拒絶したこともある。 トナカイや大鹿などの珍しい動物の蒐集に熱中し、カラブリアの隠者パオラのフランシスコさえ、ルイの蒐集癖の対象になった。ロレンツォ・デ・メディチと文通し、聖ゼノビウスの指輪のことや「スキティアの仔羊」と呼ばれる不思議な力を持つ植物について話を交わしている。科学に興味を持ち、死刑囚は科学の発展に寄与してから処刑されるべし、との勅令を発した。死刑囚は生きたまま解剖され、医学の進歩に貢献したとしてルイ11世は称賛された。1474年、「ムードンの射手」と呼ばれた盗賊が処刑された。この死刑囚は腎臓結石を患っており、同じ病に苦しむ人々のためにルイ11世は生体解剖を許可したが、死刑囚の解剖で実際に結石を除去できたのか、治療法を確立できたのかは不明である。しかし、彼自身は迷信深く占星術師に取り囲まれ、コミーヌのような人物さえ国王が誰からも愛されていなかったということをはっきりと『年代記』(Memoire )に書いている。『遺言詩集』でこの王に讃辞を贈っているフランソワ・ヴィヨン同様、現代人には理解困難な、しかし魅力のある歴史上の人物である。
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