政治・外交面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 02:46 UTC 版)
SDI構想に対しては敵対するソ連のみならず、アメリカ国内からも多くの反対意見が寄せられた。天文学者カール・セーガンは「地球のみならず、宇宙までをも破壊しようとする狂気の沙汰」と厳しく非難。科学者グループだけでなく、元国防総省幹部などからも批判が上がった。しかし、結果的にSDIは政治・外交面では一定の成果を収めた。 SDIが実現すれば、核戦略においてアメリカの一方的な優位が成立するため、ソ連は、アメリカが核戦争を計画している兆候だと考え、東西の緊張が高まった。しかし当時のソ連には、既に対抗して軍拡競争に応じる体力が残されておらず、ソ連共産党書記長ユーリ・アンドロポフ、あるいは初期のミハイル・ゴルバチョフ政権は外交的手段によって事態を打開しようとした。アンドロポフはアメリカとレーガンへの非難を強めると共に、当時ソ連側が先行していたキラー衛星をはじめとする衛星攻撃兵器の放棄と引き替えに、宇宙配備型ABMやスペースシャトルの軍事利用の禁止などを提案。ゴルバチョフも1985年のジュネーヴ会談、1986年のレイキャヴィク会談での軍縮交渉によりSDIの阻止を試みた。 これらの『平和攻勢』は、衛星攻撃兵器開発の事実上の凍結など、一定の成果も上げたものの、アメリカにSDI構想を放棄させるまでには至らなかった。結局ソ連は、軍拡路線を放棄、1987年の中距離核戦力全廃条約を皮切りに軍縮へと大きくシフトする。SDIが最終的に冷戦終結、ひいてはそれに続くソビエト連邦の崩壊をもたらしたとの見方は少なくない。おそらく当初の意図とは異なる形であったものの、「SDI演説」に述べられていた通り、SDIは「人類の歴史の流れを変えた」と言える。 ただし、SDI構想のみに限ったことではないが、レーガン政権下での軍拡政策が、アメリカにも『双子の赤字』に代表される、連邦政府の財政面での大きな痛手をもたらしたことも事実である。
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