放送時間と人気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 03:34 UTC 版)
「アクトゥエレ・カメラ」の記事における「放送時間と人気」の解説
主要版は午後8時から放送していたが、1960年代に午後7時30分からの放送に移った。西ドイツの二大ニュース番組『ホイテ』(第2ドイツテレビ〈ZDF〉、午後7時)と『ターゲスシャウ』(ドイツ公共放送連盟〈ARD〉、午後8時)が東ドイツでも広く視聴されており、これらと放送時間が重ならないようにするためだった。当初は20分間の放送だったが、1972年に30分間に拡大した。 1970年代中盤に、もう一つの30分版が、DDR2(DDR-FSの第2放送)の午後9時半からの枠で新設。それまでは二つのチャンネルで午後7時半に同時放送を行い、翌朝9時半(のちに8時半)からDDR1の一日最初の番組として再放送していた。 一日の放送が増えるにつれて、サマリーの回数も多くなった。DDR1では朝の番組の終わりとして正午から午後1時の間に速報版が、午後5時には午後の更新版を放送。DDR2での夕方の放送は午後6時45分からの枠で開始し、のちに5時45分と6時55分に放送に変わった。深夜版は1970年代までDDR1がマガジン番組の後の午後10時あたりにヘッドラインを流す形で対応していたが、1980年代以降は最終版として一日の最後の番組として設定された。 実際のところテレビ視聴者の大半はアクトゥエレ・カメラを無視し、ARD『ターゲスシャウ』のような西ドイツの番組を見ていた。東ドイツ当局はカラー放送の方式について、西ドイツで使われていたPALではなくフランスのSECAMを採用していた。基本的な規格は同一だが、東ドイツでは西側の放送が白黒に変換されて映るようになっていた。 東ドイツの国民はPALデコーダーを購入してSECAM設定に対抗したため、結局東ベルリン当局は「テレビを通した亡命」に注意を払うのをやめ、1977年以降からはPAL、SECAM両方式に対応した設備の販売を許可した。ドイツ再統一後はSECAM方式の使用は中止され、西側同様PAL方式を使っている。 この番組のフォーマットは、当時のエストニア・ソビエト社会主義共和国に輸出され、エストニア国営テレビ(英語版、エストニア語版)のニュース番組「Aktuaalne kaamera(エストニア語版)」となった。この番組は、エストニア独立後もフォーマットを何度か変えながら、現在に至るまで放送されている。
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