摂末社の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 07:13 UTC 版)
江戸時代以降の摂末社の変遷。 摂末社 変遷 社名はいずれも常用漢字で記載。江戸時代 摂社:19社(いずれも境外摂社)若宮八幡宮、金之宮、福石明神社、牛頭天王、山王権現、三社明神、当所大明神、福之宮、貴布祢明神、米之宮浅間神社、若之宮、二之宮、小浅間社、山宮、富知神社、倭文神社、悪王子大明神、悪王子稲荷、琴平・山神・秋葉合祀社 末社:15社(いずれも境内末社)三之宮社、七之宮社、荒神社、水屋明神、水神社、弁天社、牛頭天王社、日之宮社、伊勢社、八幡社、天神社、弁天社、追加明神、見目社、飯酒王子社 なお荒神社、水神社、牛頭天王社、日之宮社、伊勢社、八幡社、弁天社、追加明神、見目社、飯酒王子社の10社は、安政大地震で大破して内陣に合祀された。明治以降もその名は見えるが、全て内陣合祀状態での末社である。 明治以降 明治以降における摂末社の変遷。文献は以下による。 明治4年:明治4年(1871年)の『式内浅間神社巨細取調書上帳』 明治8年:明治8年(1875年)に静岡県庁提出提出の『国幣中社浅間神社摂末属社表』 明治11年:明治11年(1878年)11月訂正の『摂末社取調書』 現在:『浅間神社の歴史』(今古書院) 社名明治4年明治8年明治11年現在境内社 奥宮 (大日堂) 属社 摂社 奥宮 三之宮浅間神社 末社 末社 摂社 摂社 七之宮浅間神社 末社 末社 摂社 摂社 水屋神社 末社 末社 末社 末社 稲荷神社 -- 末社 末社 末社 厳島神社 末社 末社 末社 末社 天神社 末社 末社 末社 末社 久須志神社 (薬師堂) 属社 末社 末社 その他 末社10社 属社1社末社10社 末社11社 なし(事実上) 境外社 富知神社 摂社 摂社 摂社 独立(事実上) 倭文神社 摂社 摂社 摂社 山宮浅間神社 摂社 摂社 末社 米之宮浅間神社 摂社 摂社 摂社 若之宮浅間神社 末社 末社 摂社 二之宮浅間神社 末社 末社 摂社 村山浅間神社 -- -- 摂社 その他 末社12社 末社11社 末社11社 合計 摂社4社末社29社 摂社4社末社29社属社3社 摂社9社末社28社 摂社2社末社5社 ^ 明治4年の境内末社は、江戸時代の15社に同じ。 ^ 明治8年の境内末社は、明治4年の末社に稲荷神社を加えた16社。属社は久須志神社、山頂の浅間神社、雲霧神社の3社。 ^ 明治11年のその他の境内末社は、明治8年のその他の属社1社・末社10社に同じ。 ^ 明治4年の境外末社は、日吉社、福石社、須賀社、柚野社、御園尾社、金之宮社、若宮八幡宮、小浅間社、悪王神社、悪王子稲荷社、若之宮浅間、二之宮浅間、貴船社、琴平・山神・秋葉合祀社の14社。 ^ 明治8年の境外末社は、明治4年の末社から柚野社を除いた13社。 ^ 明治10年の境外末社は、明治8年の末社に同じ。
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