持是院家継承とは? わかりやすく解説

持是院家継承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/31 16:02 UTC 版)

斎藤妙純」の記事における「持是院家継承」の解説

応仁の乱では、文明5年1473年10月伊勢長野氏救援のため、大将として伊勢出兵妙椿と共に東軍梅戸城を落としている。文明12年1480年2月妙椿亡くなると持是院家継承する守護土岐成頼に対して利国を重用するよう妙椿遺言があったという。 同年5月応仁の乱妙椿横領した荘園扱いをめぐり、斎藤氏惣領家当主守護代異母兄争いとなり、8月には合戦始める。土岐成頼妙椿遺言重んじて利国を支援したために11月には勝敗がつき、敗れた近江六角氏のもとに亡命、利国は重臣石丸利光近江派遣し、利追討した。その後、利京都室町幕府庇護を受ける。 文明13年1481年10月、妙純は越前朝倉氏景対し斯波義廉の子義俊越前名目的な主人として推戴することを提案、氏景もこれに同意し斎藤氏朝倉氏連携強化された。長享元年1487年5月幕府調停により成頼・妙純と利藤の間和議成立、利美濃国守護代返り咲くことができた。しかし、国内政治実権は妙純が握ったままであった延徳3年1491年4月20日、妙純の娘(13歳)は氏景の子朝倉貞景元へ嫁ぎ朝倉氏との連携益々強固なものとなった

※この「持是院家継承」の解説は、「斎藤妙純」の解説の一部です。
「持是院家継承」を含む「斎藤妙純」の記事については、「斎藤妙純」の概要を参照ください。

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