持明院統の近臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 02:19 UTC 版)
後深草院以来の持明院統の近臣である。伏見天皇の春宮時代以来の近臣であり京極派の歌人として知られていて、『弘安源氏論議』(弘安3年(1280年))に名を連ねる一人である。後の『玉葉和歌集』には「従二位兼行」の作者名で選歌されている。兼行は後深草院の家司であったことが『増鏡』に描かれ、伏見天皇即位時には西園寺鏱子入内の際に兼行の娘が女房として付き添ったことも描かれている。持明院統の近臣一辺倒であったためか、伏見天皇が即位してから急速に高位高官に昇っている。楊梅家の中で民部卿に任ぜられたのは兼行だけである。
※この「持明院統の近臣」の解説は、「楊梅兼行」の解説の一部です。
「持明院統の近臣」を含む「楊梅兼行」の記事については、「楊梅兼行」の概要を参照ください。
- 持明院統の近臣のページへのリンク