抗争の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 02:22 UTC 版)
「ハットフィールド家とマッコイ家の争い」の記事における「抗争の拡大」の解説
ロザンナ・マッコイがジョンシー・ハットフィールド(デビル・アンスの息子)と恋に落ち、ウェストバージニア州側のハットフィールド家と共に暮らすために、ロザンナが家出をしたことから争いはエスカレートした。ロザンナは結局マッコイ家に戻ったが、ロザンナとジョンシーが再び以前の関係に戻ろうとした際、マッコイ家によってジョンシーは監禁されてしまう。彼は必死の思いで馬に乗り助けに来たロザンナによって救い出された。この時ロザンナは、「デビル」アンス・ハットフィールドが救出部隊を組織したと注意を呼びかけた。 こうしてロザンナは愛するジョンシーのために自身の一家を裏切る行為までしたにもかかわらず、その後ジョンシーは妊娠したロザンナを捨て、代わりに彼女のいとこであるナンシー・マッコイと1881年に結婚した。 1882年に「デビル・アンス」ハットフィールドの兄弟であるエリソン・ハットフィールドが、ロザンナ・マッコイの3人の兄弟によって刃物で26回も刺され銃でとどめをさすという、容赦ない殺され方をした際に争いは激発した。エリソンを殺害した3人のマッコイ家の兄弟達は、復讐が段階的に拡大するにつれ、順に殺されていった。 1880年から1891年の間、争いは2つの一家を越えて国中の新聞の見出しを飾る事件となり、この流血事件を鎮めるために送られた多数の賞金稼ぎが失踪した後、ケンタッキー州とウェストバージニア州政府が合衆国州兵を召集させられる事態にまで拡大した。 その後ハットフィールド家の8人が拘束され、マッコイ家の女性であるアリフェアを殺害した罪で、ケンタッキー州へ連行されて裁判にかけられた。彼女は燃え盛る建物から逃げ出した後、ハットフィールド家の一団によって射殺された。訴状の提出期限や違法な逃亡犯引渡しの問題から、事件はアメリカ合衆国最高裁判所までをも巻き込んだ。最終的に、8人の男性はケンタッキー州で裁判にかけられ、全員有罪の判決が下された。そのうち7人は禁固が言い渡され、1人が公開絞首刑による死刑に処されることとなった。当時この処分は法律で禁じられていたが、一連の暴力行為を終結させるための戒めとして下された判決と思われる。ケンタッキー州パイクビルで行われたこの公開絞首刑には、多くの見物人が訪れた。こうして一家の争いは、1891年にひとまず終止符を打った。 その後2003年6月14日、熾烈な争いは100年以上も前に終結していたにもかかわらず、ハットフィールド家とマッコイ家の双方の末裔は、パイクビルで停戦協定へ正式に署名した。
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