抗争の幕開け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/07 21:38 UTC 版)
「ノースサイド・ギャング」の記事における「抗争の幕開け」の解説
1924年10月10日、オバニオンは自身が経営する花屋にやってきた正体不明の3人組(アルバート・アンセルミ、ジョン・スカリーゼ、フランキー・イェールといわれている)に殺害された(イェールではなくマイク・ジェンナという説もある)。5年間にわたるノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャングの抗争の幕開けである。 オバニオンの死後、ノースサイド・ギャングはハイミー・ワイスが跡目を継いだ。オバニオンの死の衝撃は大きかったが「統治委員会」を発足させ、すぐさまサウスサイド・ギャングに反撃する。1925年1月12日にワイスとジョージ・モランとヴィンセント・ドルッチはトーリオの副官であるアル・カポネを暗殺すべく彼の乗った車に発砲した。カポネは無傷だったが、その後は防弾装備を施した特殊車両に乗車するようになった。モランはカポネのボディーガードを誘拐し、情報を引き出す前に拷問して殺害した。 1月24日には妻と買い物中のトーリオがワイスとモランとドルッチの待ち伏せを受けて銃撃された。トーリオはとどめを刺されかけたが弾が発射されず、警察官が駆けつけたので犯人は逃亡した。辛くも生き残ったトーリオは引退してイタリアに隠棲し、カポネがサウスサイド・ギャングの跡目を継いだ。 さらにノースサイド・ギャングはサウスサイド・ギャングと協定を結ぶジェンナ兄弟に攻撃を仕掛けた。アンジェロをカーチェイスの末に殺害し、マイクは警官隊との銃撃戦の果てに死亡した。幹部のSamuzzo Amatunaが殺害され、遂にアンソニーも殺害された。他の兄弟はシカゴから逃亡した。
※この「抗争の幕開け」の解説は、「ノースサイド・ギャング」の解説の一部です。
「抗争の幕開け」を含む「ノースサイド・ギャング」の記事については、「ノースサイド・ギャング」の概要を参照ください。
- 抗争の幕開けのページへのリンク