抗争の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/20 01:04 UTC 版)
川上・内東が横須賀警察署に自首した翌日、鶴政会林一家・林喜一郎総長は加賀美の入院している病院を訪ね、ヤクザからの引退を迫った。加賀美はその場で「堅気になるかどうかは、3日後に返事する」と答え、3日後に甲府市の土建業者社長から熱海市の稲川裕芳を通じて引退することを表明した。稲川裕芳は、石井と林を熱海市の稲川裕芳邸に呼び、加賀美の引退を伝えると共に加賀美一家への攻撃を中止するように命じた。 稲川裕芳は、甲府市の加賀美の縄張りを石井隆匡に任せ、その後加賀美一家の代貸しだった長崎と穴切遊郭の愚連隊「穴切りグループ」の首領・小森敬介を横須賀市に呼び寄せ、二人を兄弟分にさせて甲府市の代貸しに据えた。 川上は、殺人未遂で懲役15年の求刑を受け、懲役12年の実刑判決を受けた。内東は、殺人未遂で懲役10年の求刑を受け、懲役8年の実刑判決を受けた。川上と内東が加賀美を襲撃した際、加賀美土建の向かいで車の中で待機していた川上の若衆2人については、1人が懲役8年の求刑を受け、懲役5年の実刑判決を受け、もう1人は懲役6年の求刑を受け、懲役4年の実刑判決を受けた。
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