戦略と戦術の分化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:30 UTC 版)
ニッコロ・マキャヴェッリは近代西欧における軍事思想の始祖的存在である。『戦術論』において「戦争目的は、自己意志を相手に強制することによって、敵の完全敗北という成果を得て、速やかに終結させなければならない」と定め、敵の軍事力を破壊する戦略を主張した。ナポレオン1世はマキャヴェッリの思想を継承しており、「大戦術」という言葉を用いて通常の戦術と区別し、大局的な戦争指導を行って戦略・戦術の概念を分化した。この頃[いつ?]にポール・ギデオン・ジョリィ・マイゼロアは、古代戦史の研究から西欧で初めて戦略・戦術の用語を区別して使用し、戦略の用語・概念を西洋に普及させた。 この戦略の概念は当時[いつ?]ナポレオン戦争を研究していた多くの軍事学者たちに影響を与えた。カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』で個々の戦闘で問題となる戦術と対比し「戦略とは戦争目的を達成するために戦闘を組み合わせる活動だ」と述べ、戦略を戦争での使用目的に限定した。これは後に[いつ?]クラウゼヴィッツ主義の軍事研究者たちによって過剰に教条化され、決戦至上主義を生み出す。またアントワーヌ=アンリ・ジョミニの『戦争概論』では「戦略とは地図上において戦争を計画する技術であり、作戦地全体を包括する」と定義して、戦略を戦争目的に限定した。さらにヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケは「戦略は知識以上であり、実際生活への応用であり、流動的な状況に従う創造的な思考の発展であり、困難な状況における行為の芸術である」と述べている。
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