戦後の八王子競馬場と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:21 UTC 版)
「八王子競馬場」の記事における「戦後の八王子競馬場と終焉」の解説
1945年、太平洋戦争の終結によって競走は再開された。しかし軍馬資源保護法は廃止されたため、旧地方競馬場では法規に規制されないヤミ競馬が数多く開催された。八王子競馬場でも、フォーカス式とよばれる日本初の連勝単式馬券が発売され、売り上げが飛躍的に伸びる一方、他の競馬場での例に漏れず、法規制が未整備のため、騎手や馬主による不正が横行した。GHQ司令官マッカーサーに宛てた国民各層からの投書群の中には、八王子競馬における不正を告発するものがある。このような無法状態を解消するため、1946年、「地方競馬法」が施行された。また1948年には「競馬法」により、一部のレースを除いて主催者が都道府県に移管され、八王子競馬場でも馬場施設などの資産が東京都に継承された。八王子競馬場での競馬開催は、1948年、1949年に都営競馬及び八王子市営競馬が延べ8回行われたが、翌1950年、大井競馬場の開場により競走はおこなわれなくなった。 かわって1952年、競馬場の跡地は八王子牧場となり、競走馬の育成・調教の場となった。また、1954年には関東地方競馬組合の騎手講習所が、1962年には騎手学校が開設されたが、1964年に栃木県塩原町(現・那須塩原市)へ移転し、翌1965年に八王子牧場も廃止され、競走馬の育成機能については千葉県の小林牧場に移転された。
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