戦史講義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:08 UTC 版)
82歳の時から、中山定義、杉江一三、内田一臣ら帝国海軍出身の海上自衛隊首脳の依頼で、海上自衛隊幹部学校(帝国海軍の海軍大学校に相当)で戦史講義を定期的に行った。山梨は、毎年の講義の準備に最低でも3か月を費やし、外国戦史についての不明点は在日外国大使館に照会・もしくは原書を借用して解消し、講義の前にはリハーサルを行って、強調すべき個所や、話す順序を工夫した。 1957年(昭和32年)に第3期高級課程学生として山梨の講義を受けた中村悌次は、 「 山梨は時に教壇の机に置いた分厚い原書をめくり、時に教壇の上を歩き、熱弁を振るった。13時から16時までの3時間の予定が、18時過ぎにようやく終わった。高齢の山梨は椅子に座って講義するよう幹部学校長から勧められていたが、一度も椅子に座ることはなく、5時間の中で休憩を2回取っただけで教壇に立ち続けた。 」 という旨を述べている。 最終講義は、山梨が89歳であった、1966年(昭和41年)11月、死去の前年であった。初期以外は速記によって講義録が作られており、山梨の死去の翌年、1968年(昭和43年)に幹部学校の部内資料『山梨大将講話集』としてまとめられ、1981年(昭和56年)に『歴史と名将』と題されて毎日新聞社から公刊された。400字詰原稿用紙1,200枚の大著であった。
※この「戦史講義」の解説は、「山梨勝之進」の解説の一部です。
「戦史講義」を含む「山梨勝之進」の記事については、「山梨勝之進」の概要を参照ください。
- 戦史講義のページへのリンク