成立・刊行時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:26 UTC 版)
著書の成立・刊行の時期は、 『北条五代記』には寛永18年(1641年)2月の刊記があり、 『(刊本)そぞろ物語』は写本で伝わっているが寛永18年(1641年)3月の刊記があり、 その内容は跋にあたる「常佐眼をとつる事」を除いて『見聞集』と重複しているため、『見聞集』の成立はそれ以前、 『見聞軍抄』には刊記がないが、序に『北条五代記』の紹介があるため、刊行時期は『北条五代記』より後で、林読耕斎の『欽哉亭日録』に言及のある寛永19年1月14日以前、 『順礼物語』には上記の全作品の紹介があるため、刊行時期はそれより後 と推測されている。 各作品の作中には、作品当時を慶長19年(1613年)とする記載があるものの、『北条五代記』巻8「東国山嶺に。のろしを立る事〔付〕大伴黒主事」に「三十余年弓矢治て。当代の若き衆。しるべからず」、『見聞軍抄』巻7「卅年以来。弓箭治る事」に「見しは今。天下おさまつて。三十年このかた也」と最後の合戦から30余年が経過している旨の言及があり(関ヶ原の合戦は1600年、大坂夏の陣は1614年)、『見聞集』巻1「道斎日夜双紙を友とする事」に永禄8年(1565年)生まれの浄心が「愚老70余歳」などの言及があることや、寛永年間の出来事への言及もみられること、寛永期の版本のある文献からの引用が確認されていることから、成立時期は寛永後期と推測されている。 『見聞集』巻8「愚なる子共のうわさの事」に「愚息、壱人有、幼少なれば、いさむるとてもかひ有ましと、なけきおもふあまりに、言の葉を一首つらね、(…)後日、愚老卒して後、若おもひ出やせんとなり」とあり、また跋にあたる『北条五代記』巻10・『見聞集』巻10「老いて小童を友とする事」および『見聞軍抄』巻8無題の同文に、「童子をかたらひ。まことならざる。昔をかたり友となせば。昔を語り尽さずんば。有べからずといひて。やむ事なし。いたくいひし事なれば或時は黄葉を。金(こがね)成とあたへてすかし。或時は顔をしかめ。がごうじとをどせども問やまず。其せめもだしがたきによつて。丫(あ)童をなぐさめんがため。狂言きぎよのよしなしごとを。書あつめたる笑ひぐさ。(後略)」とあって、元和9年(1623年)生まれの浄閑茂次が読み書きのできる年齢になっていることが物語の前提とされている。
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