成城小学校設立による教育の実験的研究
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「澤柳政太郎」の記事における「成城小学校設立による教育の実験的研究」の解説
沢柳政太郎は大正9年(1920年)の「小学教育学の建設」で次のように「教育の実験的研究の必要性」を述べている。 この学校は教育の実地的研究という使命を持って生まれたのである。 教育の改造を成し遂げるための実地研究をなすという目的を持って成立したものである。 私どもはささやかなる一私立校から、私どもの天分の許す限り、力のあらん限り努力して、必ず何ものかを小学教育の改造に寄与するつもりである。 そこで私は全国の教育者に対して、小学教育に関し研究を要する問題にして、法規上研究の自由を得られないものを、私どもに提示せられんことを望むのである。 私どもの研究するところは、すなわち小学教育の改造のためであり、全国の小学校に行われることを目途として努力している。 我が成城小学校は、小学教育の科学的研究のためにするという目的を持って生まれたのである。私は小学教育学は成城小学校の畑に種子がまかれ、芽を出し、生育せんことを望んでいる。しかし、どこで発生して生育してもよろしい。一日も速やかに小学教育の生まれ出でて健全なる発育を遂げんことを祈っている。 幾多の重要な問題が横たわっている。従来の教育学はそれらの実際問題・重要問題に触れずして過ぎ去った。 小学教育に関する数十数百の問題は、今日のところわずか常識的解釈を下すにとどまって、未だ一つも科学的研究を経たものが無いと言って良い。 教育学者で板倉聖宣と共に仮説実験授業を提唱し、実施、研究した庄司和晃は、この澤柳の宣言について、 大正9年の論文であるが、時代がかった部分、古さびれた言はひとつもない。今なお、脈々として生き残っている活文字である。一日も早く古さびてほしいものだと思うが、そうでもないところをみると、それほどまでに(教育の)科学的研究が進んでいないということなのであろうか。 と述べている。
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