成城小学校の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:11 UTC 版)
1917年に創立した成城小学校 は、文部官僚だった澤柳政太郎が、新教育を施行する実験学校として設置された学校である。個性尊重を前面に打ち出し、1920年代のアメリカの小学校で実施されたドルトン・プランと呼ばれる指導法が日本で初めて導入された。 成城小学校の教育課程は、修身を低学年では実施しなかったこと、英語や数学を低学年から実施したこと、小学4年生以上で特別研究の授業が組み込まれたことに特徴があった。また国語科においては、綴方、読方、書方のほかに、「聴方」という独自の授業があった。 その後、成城小学校を抱える成城学園は幼稚園から旧制高等学校までの一貫教育後に男子学生は基本的に全員が東京帝国大学に進学することになったが、加藤一郎、前田陽一、森雅之、安原喜弘、山口晋平、斎藤真、堀川直義、児玉三夫、柳谷謙介、中路雅弘、中埜肇、矢崎光圀、中野和仁、長瀬英男など当時の東大や京大では「一風変わった学生の集団」として東大など帝国大学に「新しい風」を吹き込んだ。
※この「成城小学校の例」の解説は、「大正自由教育運動」の解説の一部です。
「成城小学校の例」を含む「大正自由教育運動」の記事については、「大正自由教育運動」の概要を参照ください。
- 成城小学校の例のページへのリンク