成城小学校での〈教授の実験〉
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「読み先習の法則」の記事における「成城小学校での〈教授の実験〉」の解説
1916年9月に澤柳は私立成城中学校の校長に乞われた。澤柳は「小学校での実際的な教育研究をすすめるために私立小学校も設けてほしい」と条件を出し、それが受け入れられ、成城小学校と中学校の校長に就任した。当時の新聞記事にこのことが載ると「元文部次官で二つの帝国大学の総長までやった文学博士が小学校の校長をやる」というので驚かれた。澤柳は「教育学説の真理は〈教授の実験〉によってのみ明らかになるのに、教育学者たちは誰もそのような研究をやろうとしない。それなら、自分でやるよりほかない」と考えた。澤柳は設立されたばかりの成城小学校の経営が不安定なので無給で校長を引き受けた。澤柳は全国から有能な教師を集めて、文部省の教育政策から完全に自由に研究を始めた。澤柳は「各教科の開始時期も〈教授の実験〉によって決めなければならない」と考えて、「修身」や「算術」の開始時期を遅らせるなど、成城小学校の教師たちと一緒に〈教授実験〉を始めた。その研究過程で「読み書き雁行の法則」も発見された。 澤柳はこの研究を一私立学校にとどめずに、校外の人々にも呼びかけて「教育問題研究会」を発足させた。その会員は3000人にも達した。その機関誌『教育問題研究』は1万部近くにまで部数を伸ばした。
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