性、結婚、および家庭など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:16 UTC 版)
「メノナイト」の記事における「性、結婚、および家庭など」の解説
メノナイト教会には修道院生活のような形式上禁欲的な宗教習慣は無いが、その会員の独身であることと結婚の神聖さ双方に正当性と名誉を認めている。独身の人は慎み深いことが期待され、結婚は終世続き、一夫一婦で、男女間の誠実な盟約であると期待されている。離婚は奨励されず、人の「頑なな心」が究極の離婚原因と信じられている。あるメノナイト教会では、性的不誠実やひどい虐待以外の理由で一方的に伴侶を離婚した会員に懲罰を下した。1960年代か1970年代頃まで、メノナイトの住民が都市に拡がる前は、離婚は極めて希なことだった。近年、離婚はありふれたものになり、特に虐待が明らかな場合には汚点にもならないようになった。 伝統的に、特に保守的なメノナイト集団では大変質素な服装(女性の服装で顕著)が期待されてきたが、メノナイト住民が都市化されより広い文化に統合されるにつれ、この見た目の違いは保守的集団の外では消えつつある。 メノナイト教会の地域集会(他の宗派の教区に対応するもの)は、禁欲的ではないホモセクシャルに対して会員であることを認めた会員を排除するように動いてきた。この追放は中庸的なメノナイト集団では議論の的にされ、今も続いている。 これら追放された信徒の者がメノナイト教会やメノナイト教会総合会議に二重に加入していたが、後者は同じ信徒を追放しなかった。この2つの会派が2002年に公式に統合されて、メノナイト教会カナダとメノナイト教会USAとなったとき、1つの会派から追放されてもう1つには残っているような信徒が、新しく統合された会派の「内部の者」なのか「外部の者」なのか未だに明らかでない。また幾つかのメノナイト集団は、そのような信徒を追放するよりも集団の中の「準会員」として、「懲戒された」信徒を留めて置くことを選んできた。実質的に懲戒された信徒と会派の間の対話は続いている。 オランダのメノナイト教会は1911年に初めて女性の牧師、アンナ・ツェルニクを承認した。約1世紀後の現在、40%以上の牧師は女性である。 オランダのメノナイト教会は1970年代に初めてホモセクシャルの牧師を容認した。2001年ホモセクシャルの結婚がオランダで認められ、オランダのメノナイト教会はホモセクシャルの結婚式を初めて執り行った。
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