志摩観光ホテル株式会社
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「志摩観光ホテル」の記事における「志摩観光ホテル株式会社」の解説
志摩観光ホテル株式会社は、志摩観光ホテルの運営主体として1949年(昭和24年)10月5日に近畿日本鉄道が1500万円、三重県庁が1000万円、三重交通が500万円を出資して設立された。1952年(昭和27年)9月には賢島荘を志摩観光汽船(現・志摩マリンレジャー)から受託して経営を開始したのを皮切りに複数の宿泊施設の経営を行った。また津市の三重会館でレストランを運営していたこともある。しかし経営環境が厳しくなったため、志摩観光ホテル株式会社は1999年(平成11年)4月1日に志摩観光ホテルを近鉄ホテルシステムズ(現・都ホテルズ&リゾーツ)に譲渡し、賢島宝生苑の経営だけを行うことになったため、社名を株式会社賢島宝生苑に改めた。志摩観光ホテル以外の志摩観光ホテル株式会社が運営していた宿泊施設は以下の通り。 賢島荘 1952年(昭和27年)9月に志摩観光汽船が開業し、同時に運営を受託。1954年(昭和29年)10月に同社より譲受される。1997年(平成9年)10月にエコツーメイト賢島荘に改称するも、1998年(平成10年)6月に閉鎖した。 国民宿舎賢島ロッジ 1959年(昭和34年)4月に阿児町が開業し、同時に運営を受託。1999年(平成11年)1月に閉鎖した。 新賢島荘 1964年(昭和39年)3月に開業、1995年(平成7年)7月に第三賢島荘と統合して賢島宝生苑の「雅」棟になる。 新賢島ロッジ 1970年(昭和45年)7月に開業、1979年(昭和54年)6月に賢島別館に改称。1995年(平成7年)7月に賢島宝生苑に包摂され、「賢島宝生苑賢島別館」になるも、1999年(平成11年)1月に閉鎖した。 第三賢島荘 1973年(昭和48年)6月に開業、1995年(平成7年)7月に新賢島荘と統合して賢島宝生苑の「燦陽」棟になる。 賢島宝生苑 1995年(平成7年)7月7日に新賢島荘と第三賢島荘を統合、新館「華陽」を建設して開業。
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