志摩荘の地頭・土屋氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:02 UTC 版)
甲斐国では戦国時代以前から土屋氏の痕跡が見られる。『甲斐国志』によれば、現在の甲斐市島上条字大庭に志摩荘の地頭である土屋氏の居館が存在した伝承があったという。志摩荘は鎌倉時代初期には立荘されていた荘園で、戦国時代には同荘を灌漑する上条堰が開削された。島上条村続には土屋氏居館のほか、甲斐守護・武田信重が奉納した嘉吉3年(1443年)12月晦日の年記を持つ鰐口(わにぐち)が伝わる八幡神社が所在している(鰐口は現在南巨摩郡富士川町の最勝寺所蔵)。『甲斐国志』によれば同社には川除神事が伝えられており、守護武田氏や土屋氏の崇拝を受けていた神社であると考えられている。
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