徳仁親王の立太子の礼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 徳仁親王の立太子の礼の意味・解説 

徳仁親王(後の第126代天皇、今上天皇)の立太子の礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 15:32 UTC 版)

立太子の礼」の記事における「徳仁親王(後の第126代天皇今上天皇)の立太子の礼」の解説

平成3年1991年2月23日皇太子徳仁親王当時)の満31歳誕生日行われた。なお、徳仁親王天皇明仁践祚時点昭和64年1月7日)で成年達していた。明仁即位礼正殿の儀1990年11月)ののち、立太子の礼が行われた。 これに先立つ1月8日閣議決定により、「立太子宣明の儀」「朝見の儀」「宮中饗宴の儀」が国事行為たる立太子の礼(=国の儀式)として行われることとなったまた、立太子礼のために9400万円計上され一方恩赦行われなかった。 また、湾岸戦争最中であり、「簡素に」との配慮がなされ、宮中饗宴の儀大幅に縮小された。クウェート大使招待されたが、イラク大使即位礼続き招待されなかった。特に翌2月24日には地上戦突入するなど立太子礼当日極めて緊迫した状況にあり、日本の国会議員20余りに加え19か国の大使欠席する事態となった2月19日 勅使発遣の儀(宮殿竹の間2月23日 賢所皇霊殿神殿親告の儀(宮中三殿天皇明仁立太子の礼を行うことを神前報告立太子宣明の儀宮殿松の間皇族加え海部俊樹首相第2次海部改造内閣)を始め三権の長都道府県知事代理含む)、各国大使245名が出席天皇明仁黄櫨染御袍を、皇后美智子唐衣裳装束略装を、皇太子黄丹袍それぞれ着用した天皇が「宣明」を読み上げ徳仁親王皇太子であることを宣言皇太子徳仁親王決意言葉述べ続いて海部首相寿詞(よごと)を朗読し儀式終了した宣明の儀に引き続き鳳凰の間で、天皇明仁から皇太子となった徳仁親王壷切御剣親授された。また、正午には鳳凰の間で国会衆参両院決議され賀詞天皇奏上された。 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀宮中三殿皇太子徳仁親王装束姿のまま宮中三殿拝礼朝見の儀宮殿松の間洋装行われた皇太子徳仁親王両親天皇明仁皇后美智子感謝決意奏上した後、九年酒順番に口にし、儀式料理に箸を立てて終了した2月24-25日 宮饗宴の儀宮殿豊明殿この後皇太子徳仁親王2月26日伊勢神宮を、27日神武天皇陵を、28日昭和天皇陵それぞれ拝礼し、立太子礼終了報告した

※この「徳仁親王(後の第126代天皇、今上天皇)の立太子の礼」の解説は、「立太子の礼」の解説の一部です。
「徳仁親王(後の第126代天皇、今上天皇)の立太子の礼」を含む「立太子の礼」の記事については、「立太子の礼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「徳仁親王の立太子の礼」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳仁親王の立太子の礼」の関連用語


2
8% |||||

3
4% |||||

4
2% |||||

徳仁親王の立太子の礼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳仁親王の立太子の礼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの立太子の礼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS