御館入と御用達とは? わかりやすく解説

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御館入と御用達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 19:15 UTC 版)

長崎聞役」の記事における「御館入と御用達」の解説

御館入(ごかんいり)、または御内分御館入は、藩の蔵屋敷親しく出入りしている者のことである。御館入を仰せ付けられた後に「御内分」に仰せ付けられるため、御内分の方が通常の御館入よりも格上であった考えられている。 御館入を仰せ付けられている者は、オランダ通詞や唐通詞長崎町役人である町年寄宿老蔵屋敷所在地の町乙名日行事、盗賊乙名およびその手付等がいた。町年寄乙名中には代々御館入」を仰せ付けられている者もいた。 通詞達は、海外からの使者文書通訳翻訳仕事であるため、それらの情報接す機会は当然多い。聞役達は、彼らと接触することで、様々な情報いち早く知ることが出来たのであるまた、長崎奉行所多く人間御館入を仰せ付けられていた。奉行所への民事訴訟を扱う御奉行目安方筆役や、長崎奉行所与力支配波止場役や遠見番といった役人達が御館となっている。彼らは、藩出身町人関わる訴訟長崎外国船が入港する時などに聞役達のために便宜はかったのである。他にも、長崎貿易取り仕切る長崎会所の者、奉行所書物目利や御代官元締め手代といった人達も御館入の中にいた。役人達が出入りし便宜をはかることは、当時感覚としては不正とは見なされていなかったのか、その存在は特に秘密はなっていなかった。 御用達は、長崎蔵屋敷出入りする町人で、屋敷物資調達使い走り等様々なことを請け負っていた。中には、藩の貿易、ことに武器購入などにも協力したという。「用達(ようたっし)」あるいは「用聞(ようきき)」とも呼ばれ西国14藩以外にも西日本中心に多くの藩が設定していた。御用達町人中には小袖紋付拝領した者や、その功により米を毎年下賜されようになった者、御目見となった者もいた。 医者大工の棟梁船頭といった人達も御館となっていた。また、藩の御用船宿や、緊急時御用場として使う寺などもあった。それらの寺には、毎年米を寄付していた。 御館入の中には御紋付の上下を拝領した者、扶持給されその藩の藩士準ずる身分となった者、貿易業務任されその勤役中は17扶持給される者などもいた。しかし、藩から反対給付を受けることは少なかったまた、代々御館入」を仰せ付けられている者も、代替りの時は「相替らず御館入御用向に被仰付様に」との願書差し出して許可を受ける、つまり藩が依頼するではなく町人の方から御館入にして下さい願い、藩の方で御館入を仰せ付けるという形式になっていた。町役人にとって、諸藩との関係を持つことそれ自体が名誉で、出入り許される身分となることが目的だったのである。 同じ人物複数の藩の蔵屋敷御館になっていることもあった。

※この「御館入と御用達」の解説は、「長崎聞役」の解説の一部です。
「御館入と御用達」を含む「長崎聞役」の記事については、「長崎聞役」の概要を参照ください。

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