御馬廻組頭に抜擢されるとは? わかりやすく解説

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御馬廻組頭に抜擢される

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 06:22 UTC 版)

真辺正躬」の記事における「御馬廻組頭に抜擢される」の解説

1843年12月19日天保14年10月28日)、土佐藩山内豊熈時代御馬廻組頭を仰せ付けられ領知100石を下し置かれた。1845年7月13日弘化2年6月9日)、江戸へ御使者仰せ付けられ差立て10月4日旧暦9月4日下着した。1846年3月15日弘化3年2月18日)、御馬廻組頭を差免れ領知除き御馬廻仰せ付けられる。 1847年7月10日弘化4年5月28日)、異国御手御用外輪柄頭仰せ付けられ足軽200石を下し置かれた。1848年1月21日弘化4年12月16日)、御馬廻組頭を仰せ付けられ領知100石を下し置かれ、尤も爾来足軽知は除かれる1849年12月29日嘉永2年11月15日)、大御扈従組頭御奏者仰せ付けられ役料100石を下し置かれ尤も爾来の役領知除かれる1849年12月31日嘉永2年11月17日)、御馬廻支配仰せ付けられる。1850年7月19日嘉永3年6月11日)、当役そのまま御附を以って江戸表差立て、同4年5月20日下着した。1851年7月12日嘉永4年6月14日)、御扈従組頭御奏者番を差免れ領知除かれ御馬廻仰せ付けられる。 1852年9月13日嘉永5年7月30日)、先達って江戸在勤中、不心得の儀の趣相聞然るに御侍風俗の儀は兼々御示し仰せ付け置かれ殊に其の節組頭身分に候得ば、厚く心得置候の処、その儀なく件の次第不心得極み、御不快に思し召され21日この度遠慮仰せ付け置き候。子細に付き屹度仰せ付けらる筈の処、今般若殿様御弘め御祝儀に当たり思し召され前躰の通り免れた1858年5月14日安政5年4月2日)、御組頭の場を以って深尾丹波殿御組、御馬廻当分差し引き仰せ付け置き候処、御免仰せ付けられる。1859年4月8日安政6年3月6日)、惣領真辺正心(栄三郎)儀、御咎仰せ付け候、子細に付き慎み仰せ付け置き候処、前躰の通り免れる1868年11月26日明治元年10月13日病死。墓は土佐の丹中山にある。

※この「御馬廻組頭に抜擢される」の解説は、「真辺正躬」の解説の一部です。
「御馬廻組頭に抜擢される」を含む「真辺正躬」の記事については、「真辺正躬」の概要を参照ください。

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