御馬買衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 16:01 UTC 版)
毎年秋に江戸幕府から「公儀御馬買衆」、諸大名から「わき馬買」と呼ばれる軍馬買い入れの役人が派遣されており、江戸幕府は軍馬購入のために、刈田郡宮(宮城県)から笹谷街道を通り出羽国に出て、途中横手の馬市で仕入れた後、六郷・角館・生保内を経由して国見峠を越え、主産地の盛岡入りするのが通例だった。このため、奥州街道すじの宿駅・伝馬制度・街道と同じように秋田街道も整備された。 公儀御馬買衆は1625年(寛永2年)にはじめられ、1690年(元禄3年)を最後に廃止されたが、雫石には専用の御仮屋を作り(本陣は無かった)、家老が出迎えて接待するほどであった。ある年の記録によれば一行の人数は五十人におよんだという。軍馬の購入は例年二百頭前後で、11月には奥羽街道を経て江戸に帰ったという。
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