諏訪部定矩とは? わかりやすく解説

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諏訪部定矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 08:18 UTC 版)

 
諏訪部 定矩
時代 江戸時代前期
死没 寛文元年4月23日1661年5月21日
改名 諏訪部源二郎(源次郎)、元入
戒名 元入
墓所 武蔵国雑司ヶ谷法明寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 清和源氏満快流諏訪部氏[1]
父母 諏訪部定吉
兄弟 諏訪部定矩黒沢定幸、山上定正、諏訪部定之、定久、成定
諏訪部定直、定治、栗原利実
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諏訪部 定矩(すわべ さだのり[1])は江戸時代前期の旗本江戸幕府馬預。

経歴

相模国[1]諏訪部定吉と先妻の子として生まれた[2]。通称は源二郎[1]慶長14年(1609年)徳川秀忠御目見し、大坂の陣では井上正就組に属した[1]元和2年(1616年)切米を拝領した[1]。父から八条流馬術を受け継ぎ[3]、元和7年(1621年)馬役を命じられ[1]、度々陸奥国武蔵国府中へ馬を買い付けた[4]寛永9年(1632年)徳川家光に出仕した[1]

寛永11年(1634年)3月28日江戸城桜田口で異母弟定久を無礼討ちにし、家光から褒詞を受けたが[5]、父定吉・継母との間に遺恨を残した[2]

寛永20年(1643年)11月7日から12月5日まで子定直と荒木十左衛門元政と共に馬買衆として陸奥国・出羽国を廻り、馬を買い付けた[6]

慶安2年(1649年)5月27日西ノ丸下厩舎の自宅において、普請場から帰る途中の堀田正盛安藤重長稲葉正則・庄田安照に料理を提供するため、次の間で屈んで湯を試飲していたところ、父定吉に脇差で襲われ、帷子の袖を損傷した[2]。定吉は4人に取り押さえられて相模国の知行地に流され、定矩は山下町の町屋に引き取られた後、自宅に戻った[2]

承応2年(1653年)父が死去すると、12月22日跡を継いで馬預となり、剃髪して元入と号した[4]万治2年(1659年)7月13日致仕し、養老料200俵を受けた[4]寛文元年(1661年)4月23日死去した[4]。法名は元入[4]雑司ヶ谷法明寺に葬られ、以降代々の墓地となった[4]

無礼討ち事件

寛永11年(1634年)3月28日[5]江戸城和田倉馬場において[2]水戸頼房邸から帰城途中の家光に対し、松平直政が献上した馬の上覧が行われたが[5]、定矩が馬に乗ろうとした際、手綱が異母弟定久の顔に当たってしまった[2]。帰り際に桜田口[5]定久が「よくも手綱を顔に投げつけて辱めてくれたな。討ち果してやろう。」と憤り、定矩が「そんなことは自分には全く覚えがない。たとえそんなことがあったにしても、責められることではない。」と否定すると、定久は抜刀して斬りかかり、定矩は左頬を負傷したが、太刀で応戦し、定久の臍の辺りを両断した[2]

定矩はすぐに阿部忠秋邸に出頭し、目付衆の僉議の結果、供述に疑義はないとして[2]無礼討ちと認定され、家光から「処置尤も神妙である。」と褒詞を受け[5]、忠秋家来鈴木宇右衛門との養生を命じられた[2]。しかし、父定吉は激怒し、継母の訴えにより見廻りと称して鈴木宅に押し入り、長刀で宇右衛門に斬りかかった[2]。宇右衛門が「定矩は忠秋様が預っている。」というと、定吉は「定矩が弟を斬って御感に預かったなら、私は嫡子を斬って御感に預かろう。」と主張し、忠秋等に宥められた[2]。以降同様のことが2,3度あり、定吉は定矩を恨み続け、継母もことあるごとに末弟成定に「定矩はお前の兄の仇だ。必ず復讐してくれ。」と言い聞かせたという[2]

著書

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 寛永譜.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 慶安日記増補.
  3. ^ a b 西島 2013, p. 44.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 寛政譜.
  5. ^ a b c d e 徳川実紀 1904, p. 322.
  6. ^ 細井, 兼平 & 杉山 2002, p. 8.

参考文献




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