御駕籠祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 19:25 UTC 版)
陰暦8月15日に行なわれる祭事。億計王と弘計王の像をそれぞれ駕籠に乗せ、サトイモを供えて厄払い、豊年を祈願する祭りである。これは、下記の言い伝えに由来する。 億計王と弘計王の父である市辺押磐皇子は履中天皇の皇子である。安康天皇(市辺押磐皇子の甥にあたる)は市辺押磐皇子に王位を継承させようと考えていたが、安康天皇3年(456年)8月、安康天皇は眉輪王によって暗殺されてしまう。かねてからこのことを恨んでいた大泊瀬皇子(後の雄略天皇)は、10月に市辺押磐皇子を近江国蚊屋野(現滋賀県蒲生郡日野町鎌掛付近)へ狩猟に誘い出し、市辺押磐皇子を射殺した。 億計王(後の仁賢天皇)と弘計王(後の顕宗天皇)の兄弟は難が及ぶのを恐れて都から脱出する。逃亡のさなか、尾張国の真清田神社に向う途中、美濃国を経て尾張国の及(現岐阜県羽島市南及、又は岐阜県羽島郡笠松町北及)を経由して黒田神社にたどり着いたという。 億計王と弘計王は黒田神社の森に駕籠を止め、駕籠の中で野宿することにしたという。丁度この日は陰暦8月15日の望月の夜であったという。村人たちは億計王と弘計王をサトイモによるご馳走で親切にもてなしたという。億計王と弘計王はそのお礼として、芋の葉の露を黒田神社に奉献し、村人の幸福を祈られ夜明けを待たずに出発したという。 この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。
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