御獄・神社
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御獄(うたき)は沖縄固有の信仰。部落を守る祖先神(守護神)が宿る神聖な場所で、拝所(うがんじゅ)になっている。沖縄には仏教も神道もなく、その代わり精霊信仰と先祖信仰が深く信じられ、儀式・行事化されていた。 嶺間御獄(みねまうたき) 字塩川嶺間区の北方に隣接した小高い丘にあり、嶺間按司(みねまあじ)を祭る。嶺間御獄の祭神である嶺間按司は、成化年間(1470年頃)の人である。 按司は「キムンデバティビキ、ティンデバキムピキ」物語りの教訓を残したと伝えられる。遺漏説伝(球陽外巻)に、兼城間切糸満村のこととして、幸地村の美殿なる者と倭人(薩摩人)との問答に「心怒れば則ち手を動かす勿れ、手動けば則ち当に戒心すべし」とある。 按司はまた、「神なしぎ祭」といわれる「神名遊び」の伝授でも名高い。白装束で男20人、女10人が13年廻りの子、丑、寅に当たる毎に10月中に13昼夜にわたり神歌を高唱して神眞似遊びをするもので、「宮古史伝」によれば中世まで行われていた。 按司は嶺間丘(ツヅ)に起居し、境内の北よりにあるミネマガー(泉)を整備して住民の飲料水に供したり、神名遊びを伝授するなど人心教化に努めた功績は著大であった。 東隣りには、嶺間公民館がある。 泊御獄 塩川御獄 長い参道沿いには、胸高直径20-40cm、高さ8-10mのフクギの並木がある。この並木は、県指定天然記念物である。 普天間御獄 運城御獄(うんぐすくうたき) 運城御獄の神名を「オトガフセライ神ニフセライ」と唱える。300年前の創設。 水納御嶽 もと集落があった地区の北方、小高い丘にある。15世紀後半に水納島を統治したミンナペーユヌスを祭る。島のすべての年中行事の中心で、島の繁栄や航海安全などを祈る拝所であった。 多良間神社 当時の小学校長が主唱し、1902年(明治35年)1月に社殿を完成させ、鎮座祭を行った。島で初めてかつ、今も唯一の神社である。
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