御塩浜
御塩浜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 02:21 UTC 版)
御塩浜(みしおはま)は、御塩殿神社に付属する塩田で、面積は6,609m2である。神社ではないが黒木の鳥居が設けられている。 御塩殿成立当初は日本には塩田による製塩の技術がなかったため、塩を得るために単純に海水を煮詰めていた。塩田の技術が確立してから御塩殿近く(現在の二見町西)の砂浜に揚浜式塩田として作られたのが御塩浜であるが、御塩浜が作られた年代は記録に残されておらず不明である。塩田技術の発達に伴い、入浜式塩田に改良された。 海蝕と地盤沈下による海岸線が後退したため、1751年(寛延4年)に杭を打つなどの護岸工事を行なったが、御塩浜の維持が困難となったため、五十鈴川河口近くの右岸に入浜式塩田として移動された。明治維新後に新政府の上知令により御塩浜は没収されたが、神宮は1877年(明治10年)に御塩浜の土地を購入、1897年(明治30年)から製塩が再開された。 古来使用されていた海水を汽水へ変更した年代と理由は記録に残されておらず不明であるが、昭和63年(1988年)発行の『二見町史』では、時期を1640年(寛永17年)ころ、理由を西地区の海岸の砂浜では海蝕を受けやすいことから海岸を避け、同じ西地区内の川岸が選ばれたと考察している。 毎年7月下旬の土用のころの満潮時に五十鈴川の堤防に設けられた水門を開き、御塩浜を塩分濃度2%程度の五十鈴川の汽水で満たし、炎暑の天日で水を蒸発させ、塩分濃度20%前後の鹹水(かんすい)を得る。この作業は1週間行なわれ、鹹水は樽に詰められ、御塩汲入所へ搬入される。 御塩浜での作業は、かつては二見町西の住民が奉仕していたが、御塩浜が五十鈴川へ移動したのちに、対岸の伊勢市一色町(いっしきちょう)の住民が奉仕するようになった。
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