後世の車両開発に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 07:21 UTC 版)
「西鉄500形電車 (鉄道)」の記事における「後世の車両開発に与えた影響」の解説
西鉄における連接車の成功は、日本の高速電車における本格的な連接車両の先例となり、後続の私鉄各社に大きな影響を与えた。 元鉄道省職員で小田急電鉄に転じた鉄道技術者・山本利三郎は、太平洋戦争以前の鉄道省在籍時から連接車の優位性に着目し、連接構造の高速電車編成を構想していたが、終戦後間もない1940年代末期の混乱期、小田急の新入社員・生方良雄に「日本で連接車として参考になる電車の先例はあるか」と訊ねた。筋金入りの鉄道ファンである生方が即座に「西鉄500形」の存在を挙げると、山本はさっそく生方を伴って、遠く九州へ500形の視察に赴いたという。その後山本の意向によって数年の技術蓄積ののち、1957年に小田急電鉄の連接式高性能特急電車SE車が開発され、同車両の国鉄線における世界最高速度記録(狭軌)の樹立は、新幹線電車の開発にも応用されることとなった。 西鉄自身が以後の高速電車に連接構造を用いることはなかったが、1953年以降、大都市軌道線の北九州線・福岡市内線にラッシュ対策として2車体・3車体の1000形を大量導入、最盛期の両路線において輸送力確保に絶大な威力を発揮した。その影響は広島電鉄にも及んでいる。
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