後世における『集史』の影響とは? わかりやすく解説

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後世における『集史』の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 06:30 UTC 版)

集史」の記事における「後世における『集史』の影響」の解説

集史』は、完成後にモンゴル帝国各地諸王家贈与されたことが記録されており、アラビア語版も同時に作られマムルーク朝でもそれらが読まれた。ラシードゥッディーンオルジェイトゥ治世中にラシード著作全集』を著し、自らのワクフによる施設毎年写本一部ずつ完成させるよう指示をしていた。この中には『集史』とそのアラビア語版も含まれており、両種類写本群現存している。このため後のティムール朝時代にもシャー・ルフによる修史事業でも写本再編集され、またオスマン朝サファヴィー朝ムガル朝でも読まれ各種写本作成され続けた近代の歴史でも、1700年代初頭から東洋学基本文献ひとつとして位置付けられ19世紀から研究がされており、19世紀のうちにすでに各国語訳現れている。清人洪鈞ロシア語訳集史』を参照して元史』との考証行い、『元史訳文証補』を書いた柯劭忞もこれを参照している。大元朝についてもクビライ・カアン紀やテムル・カアン紀の記述一部各国史の「中国史」も)には『元史』にない情報見られ、現在、大元研究有力な資料ひとつとして使用されている。 しかし、『集史』の写本上述のように1307年献呈ガザン祝福されたる歴史』、1307年献呈集史』、1314年献呈集史』というように3段階に増訂されており、それぞれに写本流布している。さらにティムール朝修訂本や、オスマン朝アラビア語版も別系統写本群をなしている。『集史』の研究にあたっては、これら諸テクスト校訂することが必須となるが、多系統写本から原テクスト復元することは容易ではなくそれ以前に下項に示すとおり写本ユーラシア大陸全土に砂をばらまいたように分散して保存されているため、閲覧対照作業自体困難を極めるまた、ペルシア語のみならずアラビア語版やウズベク語版の対照も必要となる。さらに、テュルク諸語はじめとするユーラシア各地言語固有名詞語彙多数使用されているため、これらの考証も必要となる。 このため世界征服者の歴史』とならんで13世紀以降中央ユーラシア史の最重要史料ありながらいまだにまともな校訂すらなされていない。

※この「後世における『集史』の影響」の解説は、「集史」の解説の一部です。
「後世における『集史』の影響」を含む「集史」の記事については、「集史」の概要を参照ください。

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