弾丸列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
1940年1月16日の「鉄道会議」で可決された「東京・下関間新幹線増設に関する件」は、東京から下関まで国際標準軌間の別線(複線)を建設する内容で、東海道本線と山陽本線の抜本的改善を目指すものであった。この計画は一般に弾丸列車と呼ばれた。 路線経路は現在の東海道新幹線と山陽新幹線に相当するが、現在の新幹線が国内の人的輸送に特化した電車であるのに対し、弾丸列車は下関から朝鮮半島や中国大陸への人や物資の輸送を考慮したもので、旅客以外にも高速貨物列車・荷物列車などを設定することにしており、機関車牽引を想定していた。また電化区間は一部のみで、蒸気機関車の使用も予定しており、旅客列車の最大速度は電化区間で200 km/h、非電化区間で150 km/hとされた。 この計画の推進には、当時中国大陸で戦火(日中戦争)を拡大していた、軍部の意向も強かったと言われている。建設工事は同年8月に新丹那トンネルと日本坂トンネルから着工されたが、第二次世界大戦で日本側の劣勢が明らかになった1943年に、日本坂トンネルと新東山トンネルを除く他の工事は中断された。この2トンネルは1944年に完成して在来線に使用され、戦時輸送や戦後の復興に貢献した。
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