式次第と勝負判定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 08:08 UTC 版)
相撲をとる相撲人は、通常20組40名(時代が下ると17組34名)であり、左方、右方をそれぞれ左右近衛府が諸国に部領使(ことりつかい)を派遣して選抜、相撲人の世話を手配し、取組の順番も選考する。節会の事務統括には相撲司がその都度組織されて、その別当には例年皇族が就任する。 節会当日は、文武官が陪覧する中で披露される。取組は現在のような立合いではなく、立ったまま姿勢をとり(練歩)、声をかけて(息を合わせて)組み合ってはじまる(手合)。勝負が決まると勝方は大声で喧嘩(さわがしく囃し立てること)をし、「立会舞」を披露する。同体などで勝負が不明の時、あるいは負方の近衛中将が「論」(物言い)を申し立てた場合には、両近衛大将や公卿などが協議を行い、それでも決しない時は天皇による裁定(天判)がくだる。また、取組が長引いた時には打ち切らせ、次の取組に移る。故障の際には「障り」を申告することもできたが、これは申告が余りにも多すぎて、認められずに取組を続行させられ、一人で何度も申告した例がある。このような時には勝負はつかずに「持」(無勝負、引き分け)扱いになる。。 20番の内最初の3番は占手、垂髪(うない)、総角(あげまき)と呼ばれ、幼児や少年が選抜された(後にこれがなくされ、17番になる)。更に最後の相撲人は「最手」(ほて)、「腋」と呼ばれ、後の大関、関脇の基になったとされる。
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