廃線時在籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 08:02 UTC 版)
モハ20形 元はデハ20形を名乗り、デハ21、22も在籍した。後にモハ20形に改称するがデハ21、22は改称を待たず除籍となる。 23 - 阪急1形26の車体を改造し、中古の床下機器・台車と組み合わせて1957年に登場した。車体は、運転台設置に伴う台枠の延長と、屋根のシングルルーフ化が行われたが、車体側面などに阪急1形の名残を留めていた。末期は休車となり、日方車庫の連絡口駅側の側線に留置されていた。 24 - 阪急1形3の車体を小改造し、中古の床下機器・台車と組み合わせて1957年に登場した。23とは異なり、車体はダブルルーフのままで、運転台部の拡張も行われなかった。それが災いしてか、車体は1961年に阪神601形604の車体と交換されたが、結果的に晩年には5枚窓の電車として親しまれることになった。1990年頃に明治製菓のCM撮影のため広告車となったが、契約期間終了後も塗色が変更されることなく廃線を迎えた。 25・26・27 - 阪神701形704・710・707の譲受車。後から入った27だけ尾灯の取り付け位置やZパンタグラフの位置が異なる。 モハ30形 31 - 阪神1121形1130の譲受車。 32 - 阪神1141形1150の譲受車。 クハ100形 101 - 阪神1111形1118の譲受車。 102・104 -阪神1121形1128・1122の譲受車。譲受に際して電装解除されている。モハ20形・モハ30形の列車編成登山口側端に連結して使用された。なお、末期は104のみが使用されており、101・102は登山口駅の引き上げ線に留置されていたが、実質的に廃車状態であった。なお、104は103置き換え用として増備されたものだが、同車竣工時103が書類上在籍のため104を名乗り竣工。 デ10形 11・12・13 - 1975年に、富山地方鉄道デ5031・5035・5037を譲り受けたもの。末期は11・13が使用されていた。 モハ20形・モハ30形の集電装置は入線時のポールから後にZパンタグラフに交換されている。またデ10形をのぞいて、いずれも下回りは南海の廃車発生品といわれるものを使用していた。
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