店頭市場から機関化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 02:06 UTC 版)
「ゴールドマン・サックス」の記事における「店頭市場から機関化」の解説
1950年代に敏腕トレーダーのガス・レヴィが店頭ブロック取引を開拓。1956年11月、フォードが株式公開したときにゴールドマンは共同幹事として活躍した。1967年10月、アルキャン株のブロック取引も取り仕切った。 店頭市場での私募証券取引は特定の目的があった。1940年投資会社法は、投資会社が他の投資会社の既発行議決権付株式の3%以上を取得してはならないと定めていた。もはや投信ピラミッドは組めないので、メロン財閥やゴールドマンをふくむ共通のスポンサーや引受人が複数の投信会社を統括するファンド複合体がつくられていったのである。1960年代には海外に投信ピラミッドをつくるようになった。それがファンド・オブ・ファンズである。合衆国のカストディアンがオフショア・ファンドに保有するアメリカ企業株は、1968-69年のちょうど二年間でおよそ9億ドルから23.5億へ急増した。 店頭市場から起こった全米証券取引所の機関化現象は、民主性を担保されないまま一方的に展開した。 1970年にペン・セントラル鉄道会社が倒産。同社の発行した8千万ドル超のコマーシャルペーパーはゴールドマンにより発行されていた。証券取引委員会などから起訴され、今日のCP 利率に落ち着いた。 1981年にアーロン商会(J. Aron & Company)を買収した。南米とイスラエルに顔の利く大規模な輸入業者で、コーヒーと金の国際市場で活躍していた。外為取引までも手がけるアーロン商会を吸収し、ゴールドマンはCEOまで送った。 1986年にゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを立ち上げ、ミューチュアルファンドやヘッジファンドの運用サービスをスタートした。1989年8月17日、ゴールドマン・サックスのロバート・フリーマンは、ドレクセル・バーナム・ランバートのマーティン・シーゲルと共謀した不法取引の容疑を認めた。後日に提出されたフリーマンの辞表に謝罪の言葉はなかった。 「グループ・ブリュッセル・ランバート」、「マイケル・ミルケン」、および「ゲイリー・コーン」も参照
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