幻想論と疎外論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 06:20 UTC 版)
吉本は、自分の幻想論は、ドイツの思想家であるカール・マルクスの初期の自然哲学の疎外論に多大な影響を受けたと主張している。(ただし、吉本のマルクス解釈は興味深いが、かなりオリジナル性の高いものである。吉本はマルクスを幻想論者と見て、唯物論者というレッテルから救済しようとしている。吉本はレーニン的なロシア・マルクス主義者を嫌い、彼らの唯物論をタダモノ論と批判しているが、マルクス個人には世界一の思想家だと賛美を惜しんでいない) 吉本は有機体を原生的疎外と呼び、生命そのものが自然物からの疎外であり、微小ながら幻想性を有していると考えている。自然からの疎外そのものが、幻想性なのである。ちなみに疎外とは、そこから派生はするが還元されないという意味である。肉体がないと意識は生まれないが、意識は肉体には還元されない。意識は肉体から相対的に独立して存在するのである。身体を引き裂いて一度死んだ人間を、また縫合しても生き返らないのと同じである。生命は機械とは違うのである(ここは、ソビエト的な唯物論に対する批判でもある)。 意識と肉体は、炎とロウソクの関係に似ている。ロウソク(燃える物)が存在しないと炎は生まれないが、炎という燃焼現象はロウソクには還元されない。よって、いくらロウソクを調べたところで炎という燃焼現象の本質は理解されない。炎はロウソクから疎外された現象なのである。 また、ここで言う疎外とは、単純に自然哲学の概念であり、マイナスイメージは含んでいない。だから、やがて疎外を弁証法的に統一すべきであるというニュアンスもない。ただ、意識(有機物)と物質(無機物)の関係を説明するための概念である。吉本は、意識、物質どちらかにすべてを還元しようとする唯心論、唯物論を拒否し、疎外という概念を使ってそれを乗り越えようとした心身二元論者である。 疎外の概念を用いて、各幻想を定義したら、 個人の身体という自然基底から疎外されたものが、自己幻想(自己意識) 男女の肉体的な性交渉という自然基底から疎外されたものが、対幻想(性的交渉) 市民社会(社会的国家・マルクス的にいえば下部構造)という自然基底から疎外されたものが、共同幻想(政治的国家・マルクス的にいえば上部構造) となる。
※この「幻想論と疎外論」の解説は、「共同幻想」の解説の一部です。
「幻想論と疎外論」を含む「共同幻想」の記事については、「共同幻想」の概要を参照ください。
- 幻想論と疎外論のページへのリンク