平同心の身分の特殊性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:54 UTC 版)
「八王子千人同心」の記事における「平同心の身分の特殊性」の解説
身分階級の厳しい徳川幕府の幕臣・御家人としては特殊な存在であり、成立の経緯から農地の所有が許可されていたため、幕末まで兵農分離以前の戦国時代の武士と変わらない半農・半武士の生活を続けた。このため、江戸時代のステレオタイプの武士とは違っていた。同心職は世襲制で千人頭の同意なく役を退く事が出来なかった。徳川政権が長期に及び、当初期・中期・末期に至る過程において、徳川直参の親衛隊として活躍し、各種の政策変換・政治闘争がありながらも武士としての義務が課された。 武士としては槍奉行管轄であり、農民としては勘定奉行管轄という二重支配を受けた。武士としての義務がありながら、農民として納税の義務があった。武士として分限帳に記載され、農民として千人同心と肩書きされ宗門人別改帳に記載された。農民との争いを避けるために武士の役目以外では名字・帯刀を禁止された。これは天正以来の武田武士として変わらない生活であり、徳川家の親衛隊・旗本として誇りをもって務めた。また、武士としての禄の他に自作農地の収入があるため、農民としても豪農が多かった。 平同心は幕府から禄を受け取ける武士としての立場でありながら、平時は農耕に従事し、年貢も納める半士半農といった立場であった。この事から、無為徒食の普通の武士に比べて生業を持っているということで、太宰春台などの儒者からは武士の理想像として賞賛の対象となった。
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