川尻松子 ……内山理名(23歳-56歳・第1章-終章) / 村崎真彩(10歳・第1章)
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1950年生まれ。幼い頃からピアノに親しんでいて、10歳のときにピアノ発表会で演奏を披露。その後も事あるごとにピアノ(パイプオルガン)を演奏していた。1973年、修学旅行中に現金盗難事件が発生し、冤罪を着せられ中学教師の座を追われる。失踪してからも父親のことを気にかけており、八女川に父親の話をしていた。また、父の死を告げられたときには号泣し、沢村めぐみに、父の死に目に会えなかったことを後悔していると話していた。殺人の罪で8年間服役したあとは、過去を清算するため美容室「あかね」で働くが、教え子であった龍洋一との再会を果たし、洋一の告白に心を許し同棲をはじめる。覚せい剤中毒になった洋一からの虐待にも「彼には私しかいない」と考え、耐え抜いた。1990年、40歳のときに洋一の子供を妊娠するが、歩道橋の階段から転落し流産してしまう。失意の中荒川のアパートに引越し、日の出教会のシスターの勧めで、家庭学校で働く。子供の面倒をよく見ていたため子供やシスターからの評判はよかったが、53歳のころから覚せい剤の後遺症による精神症状と教会の火災で家庭学校と縁遠くなったことで自宅に引きこもるようになる。「嫌われ松子」と呼ばれるようになったのはこの頃のこと。2006年夏、預金を入れるために銀行に行く途中、強盗に入っていた外国の窃盗団に襲われ暴行を受ける。内臓破裂による激しい腹痛に耐えつつ自力でアパートまで戻るがこの傷が致命傷となり、「一晩寝れば治る」と信じて床についた後眠るように息を引き取る。最期は自分の人生を「かけがえのない人たちの愛に包まれていた」と振り返り、不幸だとは考えていなかった。
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