山名氏 - 但馬守護 - 御家人
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「山名氏」の記事における「山名氏 - 但馬守護 - 御家人」の解説
山名義範 山名義節 山名重国 山名重村 山名義長 山名義俊 山名政氏 山名時氏 山名師義 山名時義 山名時熙 山名持豊(山名宗全) 山名教豊:但馬守護。 山名政豊:但馬守護。 山名致豊:但馬守護。 山名誠豊:但馬守護。致豊の弟。 山名祐豊:但馬守護。誠豊の養子、致豊の次男。1580年秀吉率いる織田軍に包囲される中、死去。 山名義親:祐豊の次男。初名は氏煕。別名は昭豊。 山名堯熙:但馬守護。祐豊の三男。豊臣家の家臣となり秀吉に仕える。別名は氏政。 山名堯政:堯熙の子。豊臣秀頼近臣。大坂夏の陣、大坂城で戦死。 清水氏(但馬山名家家臣~清水恒豊流) 清水庄太夫某:但馬守護職山名祐豊の家臣。 清水正親:祐豊の家臣。その後天正18年(1590年)徳川家康に仕える。280俵。 清水恒豊:初名は煕政。実父戦死時8歳。山名堯政の子。大坂の陣(1615年)で豊臣方に味方した堯政の子としては、徳川家に仕えることが難しいため、山名豊国の尽力により、山名氏旧臣であり、当時すでに幕臣となっていた清水正親の養子になり、清水氏を称することで恒豊は幕臣に列することとなった。延宝7年(1679年)5月16日死去。禄は480石。墓所は龍興寺(中野区上高田) 寺が無縁墓として処理。法名は 清厳慈円居士。 清水豊頼:清水恒豊の次男。清水家の家督を継承。元禄15年1月14日死去。480石。 清水豊長:豊頼の嫡子。宝永元年8月21日死去。 清水豊重:豊長の養子、実父は酒井重賢、母は豊頼の養女。享保8年5月10日死去。 清水豊春:豊重の嫡子。寛政6年6月21日死去。 清水豊信:豊春の嫡子。 清水豊道:豊信の嫡子。禄は三百八十石。 山名氏(清水熙豊流) 清水熙豊:清水恒豊の長男。弟に清水家家督を譲り別に家を立て山名復姓を願うも許されず。 山名時信:清水熙豊の子。元禄13年(1700年)3月2日、特に徳川綱吉から許され山名に改姓。450俵の禄を与えられる。以後子孫同じ禄。御家人なので常府(江戸住)。 山名時尚:時信の弟。次男服部保教(服部保昌の養子)、三男清水時庸(清水豊秋の養子)。 山名時連:時尚の嫡子。 山名時睦:時連の養子、清水豊秋次男。 山名時習:時睦の嫡子。子に時方、時勝、時守。 清水氏(清水賀豊流) 清水賀豊:清水恒豊の三男。 清水豊秋:賀豊の養子、母不詳。 清水時庸:豊秋の養子、実父は山名時尚。 清水時良:時庸の嫡子。 清水時親:時良の嫡子。100石 清水時柯:時親の子。 のちに清水氏から山名氏に改姓。 山名氏(清水豊常流) 山名豊常:清水豊頼の次男。山名氏に改姓。200石 山名豊明:豊常の養子、前田五左衛門定勝の次男。作事奉行、槍奉行。徳川吉宗に重用さる。 山名豊実:豊明の嫡孫。父豊全は家督を継がずして死去。 山名如風:豊実の養子、実父は清水豊春。甲府勤番
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