山内その他
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琴平神社(ことひらじんじゃ) 境外末社。祭神:大物主命・崇徳天皇。春季大祭:4月10日、秋季大祭:9月10日、月次祭:毎月10日。 御井町字吉見嶽、吉見嶽山頂に鎮座。「琴平社」とも称する。安永3年(1774年)3月10日、讃岐の金刀比羅宮から勧請された。明治4年(1871年)、讃岐の本社と同様に崇徳天皇を合祀し「白峰社」さらに「琴平神社」と改称した。同地には吉見嶽城跡がある。 高良御子神社(こうらみこじんじゃ) 元境外末社のち兼務社。祭神:高良玉垂命の御子神9柱・九躰皇子(斯礼賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命、渕志命、谿上命、那男美命、坂本命、安志奇命、安楽応宝秘命)。 山川町字王子山に鎮座。古くは「阿志岐王子」「九躰王子」と称した。通称「王子宮」。允恭天皇時代、阿志岐山上に建立。神護景雲2年(768年)現在地に遷座した。第一王子である斯礼賀志命は従四位上、第二王子以降は従五位上が送られている(『筑後国神名帳』)。古くは摂社だったが、後に独立し山川町字本村の氏神、山川町の総氏神となった。『玉垂宮賓殿及境内末社記』には「王子宮」が末社として挙げられている。高良大社境内にある高良御子神社はこちらからの勧請。 境内社に王子若宮八幡宮(仁徳天皇)、太神宮(天照大神)、恵比須神、天満神社(菅原神(本村区氏神))。王子池の「花火動乱蜂」は高良御子神社ではなくこの若宮八幡宮の例祭(9月15日)。『玉垂宮賓殿及境内末社記』には「若宮八幡宮」が末社として挙げられているが、高良山周辺には複数の八幡神社があるため、当社を指すのかどうかは不明。坂本神社(さかもとじんじゃ) 元境外末社のち兼務社。例祭:7月撰日祭神東坂本社:櫛岩窓命(くしいわまどのかみ) 西坂本社:豊岩窓命(とよいわまどのかみ) 高良御子神社境内右脇に鎮座。高良山道入口の守護神で、山川町字栗林の氏神。栗林(御井駅付近)の阿志岐坂に至る古道の東西2か所に祀られていた。古代高良山の登口である三口(耳納村・阿志岐村・高良内村)の一つで最も重要な北口にあった。『玉垂宮賓殿及境内末社記』には「坂本明神」が末社として挙げられている。高良大社境内本坂の両脇にも分霊が祀られていたが、現在は本殿内の御客座に遷座している。 1910年(明治43年)9月26日、明治後期の神社合祀により両社とも末社ごと高良御子神社に遷座合祀された。そのため、高良大社では兼務社に準ずるものとして扱っているが宗教法人格はなく、法律上は高良御子神社の境内神社となる。高良御子神社の一の鳥居の扁額は「王子宮」、二の鳥居の扁額は「坂本神社」となっている。 境内社は、東坂本社が末社素盞嗚社(素盞嗚命)、末社佐田社(猿田彦命)、末社八柱社(高良玉垂命・外7柱、元治2年(1865年)建立)。西坂本社が末社隼鷹天神社(高皇産霊神)、末社石川宿弥社(不詳)、佐屋神大明神。
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