展覧会開幕と異常な展示方法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:54 UTC 版)
「退廃芸術」の記事における「展覧会開幕と異常な展示方法」の解説
大ドイツ芸術展がヒトラー臨席のもと、ミュンヘンに新築された巨大な美術展示場「ドイツ芸術の家」で大々的に開催された翌日、1937年7月19日、退廃美術展は「ドイツ芸術の家」から近くにあるミュンヘン大学付属考古学研究所の2階建ての建物で始まった。 建物はもともと石膏模型の収納庫で、美術作品の展示には向かない貧相な建物だったが、いかにも貧弱な間仕切りが展示用に用意され、表現主義を中心とする作品は乱雑に掛けられており、額からはずされてキャンバスがむき出しにされたり、壁から紐でぶら下げられていた物もあった。わざと劣悪な条件で展覧させるのは、宣伝省による意図的なものであった。絵の解説は紙に手書きするか壁にじかに描くという乱暴な方法で、ほかにも壁には各芸術家の発言からの抜粋や、主催者による悪意的な煽り文句が書き殴られていた。先行する展覧会同様、18歳未満は立ち入り禁止といういかがわしい雰囲気が演出され、作品には購入時の価格(ヴァイマル共和制初期のインフレ時の購入品は、その際の数十兆マルクという巨大な金額)が添えられた。 ヒトラーはオープン前に来館し一瞥しただけで感想を漏らさなかった。ごく簡単な開会式では全国造形美術院総裁・ツィーグラーが退廃芸術を悪罵する開会演説をした。いわく、国民のなけなしの税金で、民族に奉仕すべき美術館やその職員たちが出来損ないの作品を大量に買い集めて自己満足に浸ったことに怒りを覚える。どの絵や彫刻を見ても、精神病の働きを感じるしかなく、彼らの健康な作品を探すことはできなかった。これは過ぎ去った退廃の時代の記録であり、未だドイツ全土の美術館に残るこれらのがらくたを早く一掃し、各美術館の展示室をまっとうな民族的な作家に与えなければならない。彼はこう演説を締めくくった。「ドイツ民族よ来たれ!そして自ら判断せよ!」
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