少年・大学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 20:20 UTC 版)
「YOH (プロレスラー)」の記事における「少年・大学生時代」の解説
プロレスが好きな父親の影響で3歳の頃からテレビで観戦するようになり、父親が勤務する役場の体育館にみちのくプロレスが巡業に来た際には観戦に行くなど、小松にとってプロレスは幼少の頃から身近な存在だった。幼稚園の頃は、武藤敬司のカッコよさと、ザ・グレート・サスケの空中殺法に凄さを感じていたと述懐している。 中学1年生の時、いつものようにテレビでプロレス中継を見ていた小松に「このリングに上がったらどんな気持ちになるのだろう」という感情が芽生え始め、そこから一気に「やりたい」という気持ちに変わり、プロレスラーを志すようになる。それまで活動していた野球部を退部すると、「レスラーになるには格闘技経験があった方が良い」と考え、中学1年の冬から柔道を始める。高校はレスリング部のある学校を自ら探し出し、東北工業大学高等学校 (現:仙台城南高等学校)に目星を付けると、中学時代から同校の練習に参加したり、試合を見学するようになる。その結果、スポーツ推薦で同校に進学。実家から遠い場所に学校があったため、親元を離れて下宿生活を開始した。3年間まじめにレスリングに打ち込んだ小松は「(アマチュアレスリングはプロレスと比べて)地味」と発言する一方で、「入門してからレスリング技術が必要な場面があるので、下地として経験して間違いない」と振り返っている。高校卒業後、「もう少し体を作りたい」という不安があった小松は、東洋大学白山キャンパスの法学部に入学、上京して寮に入る。 なお、大学3年生の時に新日本プロレス入門テストを受けて合格を果たすものの、学業を優先し辞退した。大学を卒業した2011年に再度テストを受けるが、その年は身長が足りないことを理由に書類選考を通過することなく、不合格に終わった。暗礁に乗り上げた小松だったが、自身のもとに届いた不合格通知の封筒の中に、三澤威が立ち上げたプロレス学校の案内書を発見する。父親から入学資金の援助という後押しを受けて、プロレス道場・ヤングライオンクラスに入学し、同校でコーチを務めたヒロ斉藤からロープワークや受け身といったプロレスの基礎を学びながら1年間通う。
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