小野組の破綻とは? わかりやすく解説

小野組の破綻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 08:11 UTC 版)

小野組」の記事における「小野組の破綻」の解説

1871年明治4年)の廃藩置県以後三井島田小野三家為替方府県方と称し三府七二県に支店出張所を置き公金収支従事していた。 小野組為替方であることによって多額の金を無金利運用して生糸貿易を手がけ、また1871年には築地生糸所を創立その後前橋製糸場をはじめ、長野県各地福島県二本松などに製糸場を経営しまた、釜石院内阿仁など東北各地鉱山経営着手した生糸取引古河市兵衛が、為替店は小野衛門西村勘八)が統括していたが、1872年明治5年)、渋沢栄一仲介によって、三井組共同で「三井小野組合銀行」(第一国立銀行前身現在のみずほ銀行)を設立するが、三井組独自に金融機関三井銀行前身現在の三井住友銀行ほか)を設立三井組規模拡大した小野組は、1873年明治6年)には、全国支店四十余、大阪府の外二十八県と為替契約を結び、三井組凌駕していたが、1874年明治7年になって政府為替方対す方針担保額の引き上げなどの一方的な金融政策急変によって、小野組御用御免願い出て資金全部大蔵省提出して精算をし、1877年6月処分完了した岩手県で創県以来政府公認得て年貢金及び官金為替方東京・田所町(日本橋堀留町のあたり)の小野善助出店である盛岡呉服町小野善十郎取扱わしていた。1874年明治7年11月20日小野善助は県御用達免除出願、同27日には盛岡小野善十郎も同様出願して、県為替方閉店した11月22日大蔵省小野組官金委託第一国立銀行切換え、同組の財産没収した1884年9月小野組権利義務移して小野商会創立し1897年頃まで営業続けていたが、その後解散した

※この「小野組の破綻」の解説は、「小野組」の解説の一部です。
「小野組の破綻」を含む「小野組」の記事については、「小野組」の概要を参照ください。

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