小辺路の信仰とは? わかりやすく解説

小辺路の信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:39 UTC 版)

小辺路」の記事における「小辺路の信仰」の解説

上のように近世確立した参詣道であることから、小辺路信仰側面においても近世的な特徴示している。 小辺路ここまで述べてたように高野熊野というふたつの聖地を結ぶ道である。しかし、村上山陰[2001]によれば小辺路高野熊野を結ぶ唯一のではなく別のルート指摘できるという。すなわち、高野山から大門湯川辻・新子・箕峠・日光山経由し護摩壇山もしくは城ヶ森山経て殿垣内からは龍神街道富田川河岸まで下って中辺路合流するもの、もしくは日光山から尾根伝い東進して伯母子岳小辺路合流するのであるここでいう日光山とは護摩壇山北西約1キロメートルほどのところにあるピークで、平安時代末期から鎌倉時代初期創建されたと伝えられる日光神社がある。この神社には室町時代様子描いた日光参詣曼荼羅伝承している。この参詣曼荼羅様式から見て熊野参詣曼荼羅系譜位置づけられるだけでなく、高野聖描写見受けられることから、高野熊野のふたつの信仰混在していたことをうかがわせる。しかし、こうした日光山経由ルートであれ小辺路であれ、信仰上の遺跡乏しいことは否めない小辺路には道標・宿跡などの交通遺跡除けば信仰関係する遺跡見出すことは出来ない日光山経由ルートはかろうじて日光神社があるものの、ただそれだけである。 そうした意味で言えば高野熊野を結ぶ街道それ自体信仰上の意義乏しい。中世熊野詣において京の院や貴族たちが熊野赴いた際のように、九十九王子を順拝しつつ参詣の道を歩く行為それ自体信仰上の意義見出す立場からは、これらの高野熊野を結ぶ道は単に最短経路という以上のものでしかない。だが、九十九王子成立せしめた中世熊野詣の先達たちの影響力近世にはすでに失われ久しく九十九王子も既に退転していた。したがって小辺路における熊野信仰とは、もっぱら熊野三山めぐりに集約されている。また、高野参詣道めぐって村上山陰指摘するとおり近世巡礼では参詣道をたどること自体信仰上の意味がしばしば失われている。このように小辺路における信仰あり方近世的なものなのである

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