小軽米氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 16:22 UTC 版)
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小軽米氏(こがるまいし)は、現在の岩手県九戸郡軽米町にあたる陸奥国糠部郡古軽米村を拠点とした氏族。戦国時代末には、同地所在の小軽米城を居城としていたとされる[1]。
概要
三戸南部氏を継いだ南部信直と九戸政実との争いに端を発した天正19年(1591年)の「九戸政実の乱」では南部氏方についたと言う。乱後は南部信直に30石で仕えるも、居城の小軽米城は天正20年(1592年)の奥州仕置により破却された[1]。
脚注
参考文献
- 岩手県教育委員会「小軽米城・くず館」『岩手県中世城館跡分布調査報告書』82〈岩手県文化財調査報告書〉、1986年3月30日、287頁。doi:10.24484/sitereports.63039。NCID BN09255684。
関連項目
小軽米氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 05:24 UTC 版)
小軽米氏(こがるまいし)は九戸流九戸党の一人。 出生・経歴・没年不詳。三戸南部氏を継いだ南部信直と九戸政実との争いに端を発した九戸政実の乱では、九戸党でただ一人三戸南部氏側についたと言う。九戸政実の乱後、南部信直に三十石で仕えるも居城の小軽米城は破棄され、所領の古軽米村とその一円は新たに置かれた軽米代官所の管轄になり、小軽米氏は陸奥国の野辺地城城代に転封される。次期同城代に子の小軽米左衛門直連の名が残る。また、久俊か直連の子かは不明だが、直久と言う名が在る。
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