小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応の意味・解説 

小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)

義経=ジンギスカン説」の記事における「小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応」の解説

大正13年1924年)の小谷部の著書成吉思汗源義經也』は「判官びいき」の民衆の心をつかんでベストセラーになり、多く日本人の間に「成吉思汗義経伝説爆発的に広めることになった同書昭和初期通じて増刷重ねられ増補版も出版されたが、この本が歴史家には相手にされない一方で広く民衆受け入れられ背景として、単に判官びいき心情だけではなく日本英雄大陸渡って世界征服したという物語が、日本日清戦争日露戦争経て満蒙こそ日本生命線」と考える人びとの心をとらえ、シベリア出兵をおこなっていた時期風潮適合したことが指摘されている。また、ブームの背景としては、大衆政治参加進展中間層形成中等教育普及などにともなう文化大衆化掲げられる。さらに、発表され大正13年関東大震災1923年)の惨禍のあった翌年にあたることから、絶望打ちひしがれた人びと慰撫し、復興たずさわる人々鼓舞する意味合いもあったと考えられる。 これに対し雑誌中央史壇』(第10巻第2号 1925年 320. 4-265,国史講習会)は『成吉思汗源義経にあらず』と題して臨時増刊号組み国史学東洋史学考古学民俗学国文学国語学言語学など当時第一級研究者たちがこの説に対し大々的反論行った。 特に言語学金田一京助漢学者歴史学者中島利一郎らの批判激しく金田一京助小谷部説を「小谷部説は主観的であり、歴史論文客観的に論述されるべきものであるとし、この種の論文は「信仰」である」と全面否定した。また中島利一郎場合反論はさらに激しく小谷部論をひとつずつ考証して反論し最後には、「粗忽屋」「珍説」「滑稽」「児戯に等しい」という言葉用いて痛罵している。

※この「小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小谷部『成吉思汗ハ源義經也』に対する反応のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの義経=ジンギスカン説 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS