小永井小舟とは? わかりやすく解説

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小永井小舟

読み方こながい しょうしゅう

幕末から明治儒者下総佐倉生。本姓平野、名は岳、字は君山通称八郎江戸で野田笛浦古賀謹堂らに学び羽倉簡堂門に入る。のち幕臣永井家養子となる。軍艦操練所属吏となり、咸臨丸公用下役として乗り組み渡米帰国後調役に進む。維新後一橋侯の侍読などを務め東京で塾を開いた文章時流と趣を異にし、詩は五言古風に最も優れたまた、行草書も能くし、画も描いた著書に『無絃琴』等。明治21年1888)歿、60才。

小永井五八郎

(小永井小舟 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 17:17 UTC 版)

小永井 五八郎(こながい ごはちろう、1829年文政12年〉 - 1888年明治21年〉12月10日[1][5])は、幕末の下総佐倉藩士幕臣、明治初期の教育者[2]儒学者[1]漢学者[6]は君山または小舟[1][3]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 上田他監修 2001, p. 7720
  2. ^ a b c d 歴史読本 2007, pp. 46–47
  3. ^ a b 号は「小舟」との説もある[2]
  4. ^ a b c d e f g h i j k 竹内他編 2010, p. 283
  5. ^ a b c 1830年天保元年)生、1889年没(明治22年)の説もある[2]
  6. ^ a b c d 石山他編 1996, p. 170
  7. ^ a b 文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』赤松範一、1938年、721頁。NDLJP:1231594/374 
  8. ^ 鬼頭有一「尾張藩黌明倫堂年表」『東洋文化 : 東洋文化振興会々報』第26巻、東洋文化振興会、1983年11月、34-77頁、ISSN 0289-2162NDLJP:7912982/21 
  9. ^ 『下谷叢話』:新字新仮名 - 青空文庫


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