専門的な論評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 15:05 UTC 版)
「分子ナノテクノロジーに関するドレクスラーとスモーリーの論争」の記事における「専門的な論評」の解説
そのほか専門的な見地からの批判もあった。スティーブン・A・エドワーズは『ナノテク・パイオニア』の中で、分子アセンブラの仕様どころか定義さえ明確に示されていない以上、この議論を評価することは難しく、学問的な意義は取るに足りない程度でしかないと述べた。「分子アセンブラの設計プランは『ナノシステムズ』のどこにも載っていない。(中略)例えば、マニピュレータ・アームが400万個の原子を持つであろうと言い渡される一方で、どのような種類の原子を用いるか、どのように組み立てるかについては全く触れられない」彼は結論として「メカノ合成に関する論争は当事者にとっては大問題であったが、ほとんどのナノテク研究者にとっては学問上の見世物に過ぎない」とした。 その一方で、未来学者レイ・カーツワイルは著書『特異点は近い』においてドレクスラーに軍配を上げた。カーツワイルはスモーリーがドレクスラーのアイディアを歪めたという見方を繰り返し、スモーリーの公開状を「具体的な典拠や先端研究への言及を欠き、不正確なメタファーに満ちている」と評すとともに、スモーリーが「過去10年にわたって、正確に誘導された化学反応によって分子部品の位置制御を行う新たな手法が広く探求されてきたことを無視している」と断言した。カーツワイルは非水溶液環境における酵素の機能に関する実験結果を引用しながら、航空機やコンピュータにみられるように、生物学と無縁な現代技術がすでに自然の生体系の能力を凌駕していることを指摘した。さらにまた「初期の文明批評家も、ワールドワイドな通信ネットワークや、それが媒介するコンピュータウィルスなどというものの実現性に懐疑を抱いていた …[しかし今日では、インターネットという]我々がまたしても手にした可能性と危険性の混交物は、害よりもはるかに多くの益を与えてくれている」と述べられた。
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