専用線の撤去とは? わかりやすく解説

専用線の撤去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:18 UTC 版)

新潟駅」の記事における「専用線の撤去」の解説

1982年昭和57年)頃まで、日本軽金属(日軽金)新潟工場東洋瓦斯化学工業専用鉄道専用線)が存在した。 この専用線越後線白山駅 - 新潟駅間に並走する形で敷設され信濃川橋梁右岸東詰側(新潟方)手前付近から分岐し信濃川沿って日本軽金属新潟工場敷地通り現在の平成大橋付近まで敷設されていた。東洋瓦斯化学次いで日軽金が1980年昭和55年)までに操業停止したため廃止された。 また、1960年代中頃昭和30年代後半)には上記専用線下所島(現:中央区下所島付近から、上所島(現:中央区上所三丁目地内新潟市中央卸売市場 構内へと分岐する引き込み線建設され1964年昭和39年)末より 青果市場への鉄道輸送用として使用されたが、専用線廃止伴ってこの引き込み線運用停止され線路撤去された。 日軽金の跡地には新潟県庁舎新築移転することになり、線路跡周辺整備一環新潟市道路として整備進め関屋分水路信濃川分岐部までは新潟市道信濃川右岸線として整備されそれより先は「美咲こもれびのみち」として遊歩道として整備されている。越後線との分岐部の築堤線路撤去後残っていたが、周辺の再開発伴って順次整地され、前述右岸線のほか、新潟市道上新和線(東港線)、市の都市公園上所島公園」、県の交流拠点施設新潟ユニゾンプラザ」など道路公共施設建設用地として整備進捗し、さらに後述連続立体交差化事業に伴い上所島上所島の両跨線橋複線化のため大規模な改修が行われており、往時遺構現存しない。 その他、越後線白山方約1km留置線終端には小型電動式転車台ターンテーブル)が設置されており、使用されなくなった後も長年残存していたが、2010年平成22年)、連続立体交差化事業に伴う留置線高架化工事のために解体撤去され、既に現存しない。

※この「専用線の撤去」の解説は、「新潟駅」の解説の一部です。
「専用線の撤去」を含む「新潟駅」の記事については、「新潟駅」の概要を参照ください。

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