対戦車戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:10 UTC 版)
第二次世界大戦初期の歩兵操典、砲兵操典における対戦車肉薄攻撃では以下のような戦術を採った。 砲兵の戦車に対する肉薄攻撃は自衛戦闘のためのものとされた。敵戦車の性能、地形等に応じて投入する装備と人員を考慮し、攻撃班を組織する。攻撃は孤立した戦車や、歩兵と戦車とが分離されている時を狙った。攻撃の時期は薄暮、夜間、黎明、また攻撃の好機は戦車が壕、障害物、斜面を通過して速度が落ちたとき、故障を起こしたときである。要則では、積極的に好機を作り出すには煙幕、地雷の併用も必要であると指摘している。 下士官の班長以下、2名から3名の兵による組を作り、この組を若干数まとめて肉薄攻撃班とした。装備は発煙筒、爆薬、手榴弾である。兵は軽装で偽装を十分行うこととされた。目標は各組ごとに1輌、または状況に応じ、1両に対して数組が攻撃を行う。攻撃班は地形を利用して潜伏し、敵戦車を十分に引きつける。接近したら死角を突いて肉薄し、戦車に爆薬を装着、履帯に地雷を踏ませる。装着に成功した兵は数メートル離れて伏せ、爆風の危害を避ける。優先すべき攻撃目標は先頭車輛または指揮戦車とされた。戦果が不確実な場合、攻撃は執拗に反復することが要求された。 日本軍の大戦末期の対戦車戦闘は、戦車の弱点である砲身、覗視孔、照準器、ハッチ、機関部などを点的に貫通する戦法から、装甲を破壊する面的な攻撃へ変化した。昭和初期から開戦時の歩兵操典では、戦車に対する爆薬の使用は、専門教育を受けた工兵または戦闘工兵相当の作業隊が行うこととされていたが、大戦末期には一般歩兵も爆薬を使用して対戦車戦闘を行うよう戦術が転換された。
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