連合国高等弁務官理事会
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連合国高等弁務官理事会(れんごうこくこうとうべんむかんりじかい、英語: Allied High Commission、ドイツ語: Alliierte Hohe Kommission (AHK))または対占領ドイツ高等弁務官理事会(英語: High Commission for Occupied Germany (HICOG))は、1948年の連合国管理理事会の崩壊後、新たに設立されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)の発展を規制・監督する目的でアメリカ合衆国、イギリス、フランスによって設立された。
- 1 連合国高等弁務官理事会とは
- 2 連合国高等弁務官理事会の概要
対占領ドイツ高等弁務官
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「ジョン・J・マクロイ」の記事における「対占領ドイツ高等弁務官」の解説
1949年9月2日、マクロイは、それまでの5人の軍政府司令官に代わって、新設された対占領ドイツ高等弁務官に就任し、1952年8月1日までその職を務めた。マクロイは、1949年5月23日に成立したドイツ連邦共和国(西ドイツ)の発足を監督した。 ドイツ政府からの強い要請を受けて、著名な実業家のフリードリヒ・フリック(英語版)やアルフリート・クルップ、アインザッツグルッペン指揮官マルティン・ザントベルガーなどのナチス犯罪者の恩赦や減刑の勧告を承認した。マクロイは、クルップとフリックの全財産の返還を認めた。親衛隊(SS)の名誉隊員エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー、マルメディ虐殺事件で大量殺人の罪に問われたヨーゼフ・ディートリヒとヨアヒム・パイパーも恩赦を与えられた。また、エトムント・フェーゼンマイヤーも恩赦を受けた。 ニュルンベルク裁判判事のウィリアム・J・ウィルキンス(英語版)は次のように書いている。 1951年2月のある日、駐ドイツ高等弁務官ジョン・J・マクロイが、没収を命じられていたクルップの資産を全て復帰させたというニュースを新聞で読んだときの、私の驚きを想像してほしい。 マクロイは、インゲ・アイヒャー=ショル(英語版)(ゾフィー・ショルの姉)、オトル・アイヒャー、マックス・ビル(英語版)が主導したウルム造形学校(英語版)(HfGウルム)の設立を支援した。HfGウルムは、バウハウスに次いで世界で最も影響力のあるデザインスクールであるとされている。創設者たちは、ヴァルター・グロピウスの仲介でアメリカの在ドイツ高等弁務官事務所に支援を求めた。マクロイは、この試みを「第1号プロジェクト」とみなし、アメリカの例に倣って大学とキャンパスを組み合わせることを支持した。1952年、ショルはマクロイから100万ドイツマルクの小切手を受け取った。
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