室町・戦国期の様相とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 室町・戦国期の様相の意味・解説 

室町・戦国期の様相

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 06:49 UTC 版)

大原荘」の記事における「室町・戦国期の様相」の解説

室町戦国期にも大原荘に関する記録散見される江戸時代後期編纂された『甲斐国志』に拠れば南北朝時代には現・富士河口湖小立常在寺伝来する日授(貞和1345年元年没)『円実義抄』に大原荘に関する記録見られる。『円実義抄』下巻奥書某年6月24日年記持ち、「甲斐国都留郡大原小館常在寺」と記述されている。また、常在寺伝来する年代不詳雲州往来奥書にも大原荘に関する記述見られる文明7年1475年8月3日には冨士御室浅間神社神田の境を記した小林正証文(「冨士御室浅間神社文書」)奥書に「大原かた山御むろのかきとり御方へ」の覚書見られるまた、富士河口湖町大嵐蓮華寺所蔵する文亀3年1503年9月8日年記を持つ日蓮像台座墨書銘には「大原庄内大嵐郷」の記載見られる戦国時代には富士北麓年代記である『勝山記』では富士北麓広域呼称として「大原」の地名見られる。『勝山記原本筆写天文年間吉田富士吉田市)に在住していたが、吉田対す広域呼称として「大原」が用いられており、河口湖は「大原ノ海」「大原海ミ」、鵜の島は「大原ノ嶋」と呼称されている。 『勝山記によれば明応7年1498年8月28日の嵐では、西海長浜大和田などの地域が「大原悉ク」山津波遭い多く死者出したという。 永正18年/大永元年1521年2月18日には甲斐守護武田信虎都留郡小山田氏訪問する途中で、「大原舟津」(現・富士河口湖町船津)に所在する小林宮内丞小林尾張守)を訪ね一泊し翌日には小山田氏居館である中津森館(都留市中津森)へ向かったという。 此年ノ二月十八武田殿大原船津小林宮内丞殿へ御出有之、明ル日中津森御下候(後略) — 『勝山記永正18年/大永元年小林氏は小山田氏家老で、当荘において勢力持った土豪として知られる。『勝山記永正18年条に登場する二代小林尾張守小林正の子孫で、この系統代々宮内丞尾張守名乗る一族で、船津から下吉田勢力圏とした。二代小林尾張守初代尾張守道光の子である。

※この「室町・戦国期の様相」の解説は、「大原荘」の解説の一部です。
「室町・戦国期の様相」を含む「大原荘」の記事については、「大原荘」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「室町・戦国期の様相」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「室町・戦国期の様相」の関連用語

1
14% |||||

室町・戦国期の様相のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



室町・戦国期の様相のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大原荘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS